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2013年04月27日

21世紀はホリスティック医療となる

藤波穰二先生の講演録より

2003年ですから、ちょうど10年前の情報収集でした。
講演は富山県のようです。






健康と病気について



−ホリスティック(全的)な健康観に基づいて−



東京医科大学教授


藤 波 襄 二


 「健康」と「病気」というのは、昔のようにはっきりとは分けられないもののようです。
 昔は、自分が何ともないと思っていれば病気ではなかったのですけれども、今は、定期的に健康診断を受けて、早く発見して早く治療したほうがいいという風潮なので、自分では何ともないと思って働いていた人でも、急に「病気だ」と言われると、途端にそんな気になってしまいます。そのために、かえって病人の数が増えているとも言われるぐらいです。そうなると、健康診断を受けるのも考えものかなということになってきます。
 健康と病気とをはっきり分けることは無理なのです。人間はオギャーと生まれてから一方通行で時間がたって死ぬわけですけれども、一生の中で、死亡率が一番低いのが10歳〜14歳の間で、病気が一番少ないのが20歳前後、15歳〜25歳の間です。抵抗力は、年齢が小さいほど低く、また年を取っていくに伴って落ちてくるので、一生完全無欠の健康でいるわけにはいきません。
 昔は、小学校で「健康優良児」を表彰する制度がありましたが、今はなくなってしまいました。「健康優良児」として表彰するほど完全無欠な健康の子供が少ないのです。せいぜい小学校の5、6年生ぐらいの子供が「完全無欠の健康状態」と言えるかもしれませんが、その下、あるいはその上にしても、年をとるに伴っていろいろな障害が出てきます。
完全無欠な健康というのは、虫歯が1本もなく、目もよく見えて眼鏡は使いません。ところが、今は小学生でも虫歯はたくさんあるし、中学生・高校生には、眼鏡をかけている人がたくさんいるわけです。それでは、完全無欠な健康状態というのは本当にあるのかということになります。たとえあったとしても、小学校の高学年ぐらいで、あとは多少の病気を持ちながら過ごしていくというのが普通の状態なのです。

 人間にとって、健康が正常な状態で、健康障害や病気は異常な状態だと言います。けれども、正常な状態の人間がたくさんいるかというと、むしろ少ないのです。生きている人は、みんなどこかしら悪い。しかし、悪いところを持ちながらも元気でやっているというのが実際の姿ではないかと思います。
 皆、高血圧の薬を飲みながら、肝臓の薬を飲みながら働いている。また、会社の帰りに病院へ寄って人工透析を受けなければ、明日会社へ行けないという人もいるわけです。そういう人と電車で隣に乗り合わせてもわかりません。車いすや松葉づえを使っていれば、一目見て体の悪い人だとわかりますが、いわゆる内部障害の場合には、見ただけでは全くわかりません。そういう人たちは、病院に通いながら、お薬を飲みながら、普通に働いているわけです。そうすると、そういう人たちは一体、健康と病気のどちらに入るのでしょうか。病人というのはどんな人で、健康というのはどんな人か、境目がだんだんおかしくなってきます。
 昔は、本人が病気に気がついたときから病人になるだけで、気がつかなければ病人ではなかったのですけれども、今はほじくり返して病人にしてしまいます。潜在的な病気も全部掘り起こします。そうしますと、ほとんどが病人ということになるのです。
 厚生省は、昭和60年までは毎年「国民健康調査」をしていましたが、61年からはそれに代えて3年に1回の「国民生活基礎調査」を行っています。最近のその調査結果を見ましても、若い人から年寄りまで、全国民の4人に1人は「どこか具合が悪い」と言っています。「腰が痛い、肩が痛い、ひざが痛い」という訴えが多いのですが、とにかく「どこか具合が悪いので、薬を飲んでる」とか「お医者さんに通っている」という人が4分の1いるのです。65歳以上になりますと、半分の人が具合が悪いと言っています。
 最近の医学は大変な進歩だと言いますけれども、さっぱり患者は減っていきません。進歩したと言われる割には、あまり病気も治りません。どこか変ではないでしょうか。医学の何が進歩したのでしょうか。
 よく考えてみると、診断技術が進歩しているのです。例えば、機械を使って診断する。昔は、レントゲンもただ平面なレントゲンだけでしたが、今は体をくまなく輪切りにできますから、目で診ることが非常に簡単になってきました。そこで、「ここが悪い、あそこか悪い」と、非常に見つけやすくなりました。しかし、診断は機械でできますけれども、機械で治すわけにいきません。
 そこで、今までは薬を使ってきているわけですが、薬を飲めば治るのでしょうか。
 私は、一時、山梨県のある市から健康管理を頼まれて、各家庭を回ってみました。家に行きますと、患者さんは薬を山盛りいっぱいもらって、それを飲まないで缶の中にしまってある。売りたいほど持っている。お医者さんに2週間か3週間に1回行っては、また薬をもらってくるわけです。お医者さんのほうも、薬を出さなければ金にならない。今の医学というのは、何か物を渡さないと金にはならないものですから、一生懸命薬を出します。
 昔のお医者さんは、私の父も内科の開業医でしたので見ていましたが、乳鉢で薬を混ぜていました。混ぜた粉薬と水薬とが必ず2つありました。今は、本来ならすって混ぜられたものが、それぞれ一つの錠剤になっていて、お腹の中で混ぜるということになりますから、たくさんの種類が出てくるわけです。製薬会社にとっては非常にいいですけれども、飲むほうは容易なことではありません。
 薬の本家本元の富山県でこんなことを言ってはいけませんけれども、薬はあまり飲まないほうがいいと思います。なぜなら、効く薬を飲むとかえって危ないし、効かない薬は飲まなくても同じだからです。だから、具合が悪く、本当に飲まなければならないときだけ飲んで、しょっちゅう飲まないほうがいいと思います。
 食事の後に薬を飲んでいる人がよくいます。「血圧が高い」とか言いながら、あんなに飲んで大丈夫なのかなと思うくらい−−大丈夫だから飲んでいるのでしょうが−−ということは、あまり効かないのだと思います。効いたら血圧が本当に下がってしまいます。飲んでもあまり影響がないから、御飯のかわりに飲んでいるようなものだと思いますが、何かもったいないような気がします。
 先ほど話しましたように、機械が発達して診断技術が進歩しました。でも、その機械は1台何億円もします。特に医科大学などは、診断技術の粋を集めていると周りの人は思うので、それを裏切るわけにはいきませんから、新しい機械が出ると何億、何十億円という金を投じて買わなければならないのです。買った以上は、償却しなければなりませんから、せっせと検査するわけです。検査が必要な人であろうが、必要でない人であろうが、何かというとすぐ検査、検査です。そうしないと、高い機械を使い切れません。
 また、薬屋さんからプロパーが来て、「この薬を使ってみてください」と置いていきます。その薬を使うということは、結局、医者が機械屋と薬屋の手先になって働いているという感じになります。その収入は全部、医者の窓口を通って、薬屋さんと機械屋さんに持っていかれてしまうということなのです。今、国の予算が約75兆円の中で、医療費は25兆円ぐらいかかっているわけですから、このまま行けば、当然国の財政を圧迫するのは目に見えています。しかし、それでも薬屋と機械屋は、高い機械や薬を売りつけていくのです。どこか狂っているような感じがします。
 例えば、特に臨床系の学会はホテルを使います。我々の学会はホテルを使うなんてとんでもない話ですが、臨床系はホテルを3日とか5日間借りっ放しで、外人の先生をたくさん呼びます。外国の講演者は、奥さんを連れて来ますから、ホテル代などで大変な金がかかります。それはすべて薬屋さんが出しているのです。医者が金を持っているわけがないから、薬屋を脅かして全部出させるのです。それが全部、薬の金になってくるわけです。これが現在の医学の現状と言っていいでしょう。ですから、これでいいのかなという感じが強いのです。
 そこで、健康と病気というものを少し考え直して、医療そのものも変えていかなければいけないのではないかということで、「日本ホリスティック医学協会」ができて、今年で満9年になります。今は、私が会長をやっております。
 それでは、「健康と病気」というテーマで、スライドを使いながらお話ししていきたいと思います。

 まず、「健康とは何か」ということについてお話しします。
 九州大学の初代の衛生学の教授であった宮入慶之助先生がお書きになっている『衛生学』という著書の上・中・下3巻の上巻に、「健康状態の輪廓」というちょっと遠慮された言葉を使って、どんな状態を健康というかということが書かれています。

 これは古い本ですから片仮名書きで、難しい字もそのままスライドにしました。
 まず1番目に、「心ニ快アリ、身體ノ中、何レニモ異常ヲ覺エザルコト。」
 心に不愉快なことがあったのではいけない。
 しかも、頭が痛いとか、お腹が痛いとか自覚症状として体のどこにも異常がないことが、まず最初の条件だということです。
 2番目には、「食ニ味アリ、仕事ニ氣乗リスルコト。」
 食欲もあるし、食べればおいしい。食というのは、非常に精神的な要素の強いものです。何か気になることや不愉快なことがあると食欲がなくなりますから、まず心に快があって、そして食に味がある。そして、自分のやらなければならないことを十分気乗りしてやるというのが健康な状態だと言っているわけです。
 3番目に、「仕事ノ手、スラスラト運ビ、其ノ成績、其ノ人日常ノ平均量ヲ下ラザルコト。」
 仕事をすれば、手順よくすらすらと運んで、大体いつもどおりの出来高でないと、健康とは言えない。きょうはうまく仕事が運ばなかったというのでは、本当の健康とは言えない。
 4番目として、「經驗アル医師ノ診査モ、何等ノ異常ヲ見出ス能ハザル體勢。」
 経験を十分積んだお医者さんが診察・検査しても、何の異常も発見できないような体の状態を健康な状態と言っているわけです。
 5番目には、「共生共樂ノ大義ニ戻ラザル、道義上ノ尺度ヲ有シテ、而シテ其ノ心落著キタルコト。」
 人間は、ひとりで生活しているのではなく、社会生活を営んでいるので、みんなと一緒に生きてみんなと一緒に楽しむというのが人生のあり方である。その大義に反するようなことはやってはいけない。やっていいことと悪いことがわかる道義上の物差しを、心の中に持っているのが健康な人の状態で、いつも落ち着いてなければだめだと、健康状態を非常にうまく表しています。
 ただ、ちょっと気になりますのは、4番目の「何等ノ異常ヲ見出ス能ハザル體勢」です。
 これでは、薬を飲みながら働いている人はみんなひっかかります。ただ、これは大正2年に書かれたので、このような条件をつけられたのだと思いますが、現在ではちょっと難しいかもしれません。
 しかし、まず「心ニ快アリ」ということから始まって、道義上の尺度を持っていなければだめだということも言っておられて、全体に非常にいい言葉だと思います。この5つの条件が健康状態の輪郭であるということです。
 まず、心に快があれば健康状態です。わくわくしてうれしい、喜んでいるというのは健康状態で、不愉快で何となく気分がすぐれないというのは健康ではないと言えると思います。

 これは地球の写真ですが、我々は宇宙に浮いている地球の上に乗っかって生活しているわけですから、宇宙人です。
 私たちは、「上・下」というのは絶対的なもので、天井のほうが上だと思っています。でも、地球の上に乗って生活しているわけですから、地球の反対側の人が「下」と言えば、こっち側の人から見れば「上」で、こっち側の人が「下」と言えば、向こう側の人は「上」になります。「右・左」も相対的なものなのです。
 とにかく我々は、こういう「宇宙船・地球号」の上に乗っかっているのです。したがって、周りにある月や太陽からいろいろな影響を受けています。潮が満ちたり引いたりするのは、すべて月の影響です。地球の海にいる魚、貝が増えたり減ったりするのは、11年周期だそうですが、これは太陽の黒点の周期と一致しています。このように、太陽とか月とか、ほかの天体の影響をすごく受けているということをまず基本に置いて考えていかなければいけません。

 これは月から見た地球です。月から見ると、地球はこのように浮いていて、上から太陽の光が当たっています。この地球の上に乗っかって生活しているということをまず頭に置いて、その上でいろいろなことを考えていかなければいけません。
 人間は、生まれたら必ず死ぬことになっています。健康とか病気は生きている間の話であって、どんなに健康な人でも、鶴や亀のように千年も万年も生きるわけにはいきません。せいぜい生きても百二、三十年ぐらいです。死から逃れることはできません。いずれは死ぬのだから、そんなに一生懸命やってもしかたがないのではないでしょうか。健康、健康と騒いでも、最後はやはり、死ということを頭に置いておかなければいけません。
 人間が死ななかったら、後の人が生まれる余地がなくなってしまいます。木も草も、枯れるからこそ、後のものが生えてくるのです。死という前提がなければ、生は存在し得ないのです。死があるから、安心して生きていることができるのです。先に誕生した生命は先に滅び、また後から後から新しい生命が誕生して、新陳代謝が行われていく。我々の体の中の細胞も同じです。どんどん変わってくるのです。万物はすべてそうです。
 そこで、人間の「死因順位」を出してみました。

 昭和25年までは「結核」が第1位でしたが、26年からは「脳血管疾患(脳出血・脳梗塞)」、51年からは「悪性新生物」が第1位です。これは別に「悪性新生物」が増えて第1位になったわけではなく、「結核」「脳血管疾患」が減ったから、入れかわっただけです。
 平成2年の「悪性新生物」とは「がん」と「肉腫」ですが、そのほとんどが「がん」です。「悪性新生物」「心疾患」「脳血管疾患(脳卒中)」は、「三大成人病」と言われています。
 「全結核」は昭和10年から第1位ですが、その前は「胃腸炎」が第1位でした。両方ともばい菌によって起こる病気です。今は、第1位の「がん」はばい菌によって起こるかもしれませんが、「心疾患」「脳血管疾患」については、まだばい菌によるとは言い切れません。でも、4番目の「肺炎」「気管支炎」は明らかにばい菌によって起こります。病原体で起きるものが依然として4番目になっています。
 次のスライドをお願いします。

 健康や病気について考えるときには、「個体」を裸の人間と考えてください。そして、「環境」というのは、着ているものから住んでいる家、町、国、飲んでいる水、吸っている空気、食べている物、すべてです。そういうものをまとめて「環境」と考えると、そこに病気を起こす直接の原因となるものがいろいろあるのです。空気の汚れ、放射線、熱や気圧、化学物質、ばい菌、さらには、人間は社会生活を営みますから、ストレスのような心理的な影響もあります。このように、いろいろな病気を起こす刺激が加わってくるのです。
 それも、平面的なものではなく、立体的なものなのです。オギャーと生まれたら最後、時間は必ず一方通行で刻々と死に向かっていきますが、輪切りにする時々によって、あらわれてくるものは違います。例えば、生まれて間もないところで輪切りにすれば、「個体」は赤ちゃんで、「環境」は母親を中心とした家庭環境だけです。
 また、生まれてからだけではなく、生まれる前にも環境の影響を受けます。受精して細胞分裂が始まった瞬間から、環境の影響を受けるのです。例えば、早い時期に風疹にかかれば流産で終わりますが、中途半端な時期に風疹にかかって奇形になった、あるいは、睡眠薬でサリドマイドなどという奇形になったということがあります。つまり、その病原が加わった時期によって、死んでしまったり、死ななくても激しい奇形を生じたり、生まれる少し前に影響を受けても、何ら影響はなかったりするのです。ですから、時間的な問題もあるのです。
 それでは、人間がいかに環境の影響を受けるか、生活の影響を受けるかという例を挙げてみます。

 これは、成人病(悪性新生物・脳血管疾患・心疾患)の配偶関係別訂正死亡率を比較したものです。
 統計上「悪性新生物」というのは「がん」「肉腫」で、病理学的には「悪性腫瘍」と言います。訂正死亡率というのは、年寄りが多い、若い人が多いなどという傾向を消して、一定の年齢に当てはめて比較したものです。
 そして、有配偶、未婚、死別、離別とを比べると、男も女も夫婦そろっている場合の死亡率が一番低く、死別、離別は死亡率が高いことがはっきり出ています。
 おそらく仲がいいほど長生きするのだと思います。二人そろって、いつもくっついて、お互いにエネルギーを交換し合っていることが非常に大事ではないかと思います。ですから、別居したりばらばらに寝たりすることは命を縮めるもとなので、必ず一緒に寝なければだめです。お互いに栄養に気をつけるとか、心理的なものもあるでしょう。人間の生活は複雑ですから、いろいろあるとは思いますが、死因の多い3つを見ると、このように端的にあらわれてくるのです。
 ところで、医学が進歩して患者は減ったのでしょうか。昭和30年、40年、50年と比べてみますと、入院患者は3倍に増え、外来患者も約3倍(2.8倍)になっています。一方、医療費は昭和30年の18倍になっています。これはインフレを考慮して総務庁統計局の消費者物価指数総覧を使って訂正したものですが、患者は3倍なのに、医療費は18倍にもなっています。機械や薬が高いからです。
 健康を考える場合、まず人間とは何か、何でできているかを考えなければならないと思います。
 昔の医学も今の医学もそうですが、人体は、肝臓、腎臓、心臓といった臓器の固まりです。病院へ行くと必ず、
 「先生、どこが悪いのですか」と聞きます。患者がそう聞くから、「肝臓が悪い」とか「腎臓が悪い」などと言うわけです。
 そして、臓器は組織でできており、組織とは細胞の集まりです。
 レーウェンフックが顕微鏡をつくり、その顕微鏡で眺めたとき「人間は細胞からできている」と言いました。それで、人間が病気になるのは、細胞が病気することだいうことにとなったのです。特に、当時の権威者だった、ウィルヒョーという病理学の大先生が「細胞の病気を病気という」と言って以来、ずっと人体は細胞でできていると言われてきたのです。
 ところが、電子顕微鏡ができ、細胞の中にも器官があるということがわかりました。さらに調べていくと、細胞は蛋白質、脂肪、糖分でできていて、その中に核があり、核の中に染色体があって、そこに遺伝子が乗っかっているのがわかりました。そしてその遺伝子も、蛋白質、脂肪、糖質が組み合わさったものであり、結局はすべて化学物質なのです。
つまり、世の中にあるものはすべて化学物質なのです。この建物も化学物質の固まりですし、マイクもそうです。すべて化学物質からできています。これを分けると分子、さらに分けると原子になり、原子は原子核と電子からできています。原子核の中には陽子と中性子があり、陽子と中性子を分けると、クオーク(素粒子)か、もっと細かい粒子になります。現在はここまでわかっています。

 ここから先は、はっきり観測できていません。観測方法と観測者の主観で変わります。ある点では粒子に見えるし、ある点では波としての性格を持ってきます。だから、波動・波なのか、それとも固まり・粒なのか本当のところはわかりません。そして、ここから先は、生き物だけではなく無生物もすべて同じ構造なのです。人間、動物、植物だけではないのです。
 それを今からご覧に入れたいと思います。

 これは東京の代々木公園で、シートを敷いて寝ている人を上から撮ったものです。これは10m四角で、この人をだんだん拡大していきます。

 10倍の1m四角で、人の上半身が写っています。

 さらに10倍に拡大すると、10cm四角になります。人の手の部分だけを拡大しました。

 さらに10倍に拡大しますと、手の皮膚の表面のしわと、毛が生えているのが見えます。

 それをさらに10倍に拡大しますと、汗の穴が見えてきます。ひだが出てきて、毛が生えています。

 さらに10倍に拡大しますと、細胞が見えます。真ん中に核があって、その中に核小体と染色体が見えます。

 この染色体が2つずつに分かれて細胞分裂が始まります。人間の細胞の大きさは平均
 17μm程度で、これを100μmまで拡大しました。

 次に、中にありました染色体をさらに10倍拡大すると、染色体がまるで毛糸が絡んだような感じです。

 それをまた10倍に拡大します。「染色体の基本繊維の凝縮」−まるで毛糸が絡んでいるようです。

 これは100nmです。mmからμmになり、次がnmで、これは10のマイナス7乗倍ですから1000万分の1で、基本繊維の構造です。

 さらにそれを10倍の10nmに拡大しますと、今度はDNA構造で、皆それぞれ絡み合っています。

 それをさらに10倍に拡大した1nmで、DNAの分子構造です。これはたまたまDNAの分子構造ですが、ほかの分子構造も似たり寄ったりだと思います。

 さらに10倍に拡大しますと、今度は100pmです。分子から原子になって、原子核の周りを回る電子の雲が見えます。昔は電子の雲は、一定の輪をえがくということでしたが、最近は一定の軌道を通るという考え方ではなく、滅多やたらに回るということになっています。飛んで歩いているわけです。

 また、その10倍の10pmに拡大で、10のマイナス11乗です。この辺になると、電子の雲は電子の存在確率を示すだけです。ここではまだ核は見えてきません。

 これは1pm。10のマイナス12乗、1mを1兆分の1に拡大した場合です。電子の雲の中心の原子核はまだ見えません。

 100fm。さらに10兆分の1の拡大で、やっと原子核が見えてきます。電子はぱらぱらになってきます。

 10fmでは、陽子と中性子からなる原子核が出てきます。何か妙な形をしています。
 1fmでは、クォークの赤、緑、青、黄色と、マゼンタ、シアンの6種類が絡み合って編み目模様をして存在しています。

 今度は100amで、10のマイナス16乗分の1。兆の上の京という単位になってきますけれども、クォークの大きさはさらにもっと小さいのです。ここでやっとクォークらしきものが出てくるという段階にすぎません。現在写真に撮れるのはここまでのようです。
 人間の体はこのように粒子からできているわけですが、それをもっと細かくすると、粒子か波かはまだよくわからないのです。
以上が、現在考えられております「人間の体はどういうものか」ということです。
 過去の医学は、人間の体を細胞で考えていました。でも、細胞どまりではおかしいのではないでしょうか。過去の医学は「ニュートン力学」と「心身人間論」の上に立って発展してきましたが、ニュートン力学は既に古くなり、量子力学の時代になっています。にもかかわらず、依然として、医学はニュートン力学の上にあぐらをかいているというのが現状だろうと思います。
 ところで、このように考えていくと、宇宙には、空っぽのところは一つもなく、どこでも素粒子(クォーク)が飛んで歩いているのです。例えば、私が吐いた空気を皆さんが吸い、皆さんの吐いた空気を私も吸っています。吸ったり吐いたりした空気をお互いに吸い合っているわけですから、当然隣りの肺から出てきた空気が自分の肺の中に入ってきます。もっと細かい単位で考えると、絶えず原子のクォークが入れかわっていくことになります。
 人間の体の原子は1年で98%入れかわると考えられています。骨格の素粒子は3カ月で完全に入れかわり、肝臓は6週間、皮膚は1カ月、胃の粘膜の下のほうの胃嚢は4日、胃の表面は5分ごとに入れ変わっているという研究もあるようです。つまり、人間の体は絶えず入れかわっています。宇宙からいろんなものが体を突き抜けて入って、また宇宙へ帰っていき、パターンだけが変わらないというだけなのです。
 そう考えますと、人間の体の中で一部分だけが独立して全体とかかわりなく働いているはずがありません。人体に限らず、もともとすべてのものは、全部は部分を調整し、部分は他の部分と関連し合いながら全体の調和を保っていくようにできています。それは、宇宙も、地球も、人体も同じです。
 1つの例として、心臓の筋肉細胞を1つ取り出して培養すると分裂します。心臓の細胞は筋肉ですから、分裂しながら、ひとりでに収縮と緩みを繰り返していきます。分裂が進むと、培養器の中で、でたらめに伸びたり縮んだりします。ところが、それが培養しているシャーレにいっぱいになると、いつの間にか全部が一斉に伸びたり縮んだりするそうです。どうしてそうなるかはわかりません。最初のうちは、一個一個の細胞がばらばらで伸びたり縮んだりしているものが、ある一定の入れ物にいっぱいになってくると、一斉に同調するのです。
 人間の体はもともと1つの細胞からできているので、細胞同士、お互いに信号のようなものがあるのは当然だと思います。受精卵という1つの細胞が2つになり、4つになり、8つになり、だんだん増えて人間の体ができるわけであり、それぞれが調整をとりながら腎臓になる細胞、肝臓になる細胞、心臓になる細胞に分裂し、大きさも、位置もきちっと決まっていくのです。お互いにばらばらではなく、統一がとれて、秩序を保ち、全体の調和を保っていくわけです。それが「生命」と言ってもいいかもしれません。
 ですから、腎臓や肝臓が悪いといっても、肝臓1カ所だけが悪くなることはありません。肝臓が悪くなれば腎臓も悪くなるし、体中全部悪くなります。臓器の問題ではないと思います。要するに体が悪くなる。病人になるわけです。
 そこで、我々が考えているホリスティック医学という概念について、お話しします。

 ホリスティック医学という概念は、「まるごとの医学」と言っていいと思います。体だけではなく、精神(心)とか、あるいは家庭、社会など、生活している場全体を考えるのです。健康を保つためには、そういうもの全部から、健康という問題を考えていかなければいけないし、病気についても同じなのです。
 また、人間は、地球の上に存在していますが、地球の上に存在しているのは人間だけではありません。動物、植物、鉱物、自然環境などは、すべて人間とかかわり合いを持っています。動物や植物は、人間の大事な食料ですから、共存していかなければいけません。みんな一緒に生きているのですから、人間だけが地球の上で威張っていくわけにはいかないのです。
 そして、地球は、空中に浮いている宇宙船であり、太陽、月、惑星、恒星の影響を受けながら、太陽の周りを1年で1回りしています。人間の体も、昼と夜では血液の成分やホルモンの量が変わってきます。だから、太陽が沈んだらなるべく早く寝て、朝、太陽が出たら起きるというのが、本来の動物の生活のあり方です。人間も動物です。そういう自然のサイクルに逆らって生きることはできないのです。
 ところで、この「ホリスティック」という言葉はどこから出てきたのでしょうか。

 「Holos」というのは「全体」という意味で、そこから「heal(いやす)」、あるいは「health(健康)」という言葉が出てきています。この語源からいうと、「健康」とか「治療(いやす)」ということを考える時には、全体を考えていかなければなりません。また、「th」というのは「状態」のことです。だから、いやされた状態を「health(健康)」と言うわけです。つまり、健康とか病気は、もともとは「全体」という言葉から出てきているのであり、ばらばらで考えるものではないということなのです。
これを哲学用語として取り上げたのが、ジャン・クリスチャン・スマッツという人です。1926年に『ホーリズム・エンド・エボリューション』という本の中で、「ホーリズム」という言葉を打ち出したのです。そして、それが広まり、その「ホーリズム」からとった形容詞として「ホリスティック」という言葉が出てきたわけです。だから、「ホリスティック」というのは「全体」という意味です。日本語では「包括的」とか「全体的]、また、よく「全体論」とも言います。けれども、適当な訳語がないのに、無理に訳さなくてもいいだろうということで、私たちは「ホリスティック医学協会」と言っております。
 ところで、ホーリズムの基本的な考え方は、まず、宇宙は根源的に1つであり、ある1つのものが他のすべてのものとつながり合っているのが物事の本当の姿(実相、リアリティ)である。つまり、全部がつながり合っているので、分けるわけにはいかない。そして、その宇宙の統一性と一人ひとりの内なる「真の自己」ないし「高次の自己」は深く結び付き合っている。そのつながりは、心静かに魂と対話する黙想や瞑想によって、直観的に洞察できることである。瞑想が深くなると、そういうつながりを意識するとはよく言われることです。
 そして、価値や意味は、物事の本当の姿(実相、リアリティ)に目覚め、その《つながり》を自覚するところから生じてくる。これがホーリズムの考え方です。
 したがって、社会の不正や困難に立ち向かう不屈の行動は、この《つながり》が人間において自覚される時に生まれてくるものだということを、哲学用語としての「ホーリズム」では主張しております。
 言い換えると、ホーリズムは、あらゆるものが目に見えない統一性ないし全体性によってつながり合っていると考えます。この「かかわり−relationship−関係性」や「つながり−connection−統一性、全体性」に焦点を当てた医学がホリスティック医学なのです。人間や病気をばらばらなものとして考えない。全体としてとらえよというのが、ホリスティック医学です。
 ですから、ホリスティック医学は今までの近代西洋医学を補完するものではありません。近代西洋医学も、それなりの効果を上げてきました。でも、両者は基本的に異なるものなのです。
 近代西洋医学はデカルト哲学とニュートン力学を基礎として成立してきましたが、ホリスティック医学はホーリズムと相対論的素粒子物理学を思考の根底におく医学です。ですから、ホリスティック医学というのは、生態学的な世界観と全部関係し合ったエコロジカルな見方をするわけです。
 ところが、近代西洋医学というのは、機械論的世界観です。だから、機械と人間は同じだというような要素還元主義的な考え方をします。したがって、当然、分析的であるし、客観的で、競合的です。一方、ホリスティック医学はホーリズムですから、全包括主義的、統合的で、主観的なものです。全体を見たときに、競り合うのではなくて、お互いに協力し合う。臓器同士も、お互いに競り合う関係ではなく、協力的な関係にあります。近代西洋医学は合理的な知識を主張しますけれども、ホリスティック医学は直観的な知恵を重要視するという点でも、近代西洋医学とは異なっています。
 ホリスティック医学では、人間の臓器や組織や細胞は、人間という統一性を確保するためにかかわり合い、つながり合いながら働いていると考えます。したがって、病気の場合も、それを一部の臓器や組織に還元することなく、人間の統一性の阻害と捉えて、人間全体を治療の対象とします。つまり、肝臓が悪いから肝臓を治すという治し方ではなく、全体を治すのです。
 簡単に言えば、睡眠を十分に取り、運動をする。睡眠や運動が肝臓に効くというより、人間全体を治療の対象として活性化し、それが治療につながっていくという考え方です。一部の臓器や組織に還元しないのです。これがホリスティック医学の考え方なのです。
 ホリスティック医学協会は9年前に作られましたが、現在、ホリスティック医学協会では、ホリスティック医学をどう考えるかということについて5つの定義を出しています。
まず最初に、「ホリスティック(全的)な健康観に立脚する」。

 健康はホリスティックに考えなければならない。つまり、人間を「体・心・気・霊性」等の有機的統合体ととらえ、社会・自然・宇宙との調和に基づく包括的、全体的な健康観に立脚するということであり、人間というものを「霊性」というものまで入れて考える必要があるということです。
 例えば、人が死んだときに霊が現れることがあります。亡くなられた私の恩師は、非常に親孝行な方で、ご自分のお父さんが早く亡くなられた関係もあって、奥さんのお母さんに、非常に孝養を尽くしておられました。その恩師は、あちこちの石油会社の環境管理、衛生管理をされていたので、よく各地を回っておられましたが、ある時、そのお母さんが病気になられたので、出かける前に寄ってお見舞いをしてから出かけられたそうです。そうして帰ってこられたときに、私にこういう話をしてくださいました。
 「母を見舞って、今度はどうも危ないなと思って出かけた。翌日の晩、旅館で寝ているときに、だれかに起こされたような感じがしたので、ぱっと目を開けたら、おばあさんが立っていた。あっと思って、瞬間、時計を見たら、4時15分だった。そして、すぐまた目を元に戻したら、もう見えなかった。消えていた。これは亡くなったなと直観した。それで、翌朝、夜明けとともに電話してみたら、その時間に亡くなっていた。そういうことってあるんですね。」と、驚いておられました。
 その先生は、それまで、霊などには一切興味を持っておられなかったと思います。科学者の固まりのような先生が、今回は驚きましたと言っておられました。でも、そういうことが本当にあるのですね。どうしてそうなるのかはわかりませんが、これはやはり無視できません。
 例えば、病気の原因としては、生物学的なばい菌や物理的な気圧、音、放射線、化学物質、さらにストレスのような心理的なものもありますが、では、病気の原因はこれで全部かと言いますと、必ずしもそうとはいえません。日本には、人を呪って藁人形に五寸釘を打つというのがあります。これは特に京都あたりに行きますと、どこのお宮とどこのお寺が効験あらたかということもわかっています。実際にこれをやった人がいて、確かに効果があると本に書いています。その方は、「ある友達を標的にしてやってみたら、その友達が病気になった。このままやっていたら死んでしまうので途中でやめたけれども、実際にそういう効果がある」と言っています。
 死んだ人が出てきたり、藁人形に五寸釘を打つと呪われた人が病気になるというのは、一体何が原因でそういうことを起こすのかはよくわかりません。
 今、アメリカでは、お祈りをすることの効果について実験を繰り返しています。西海岸の心臓専門の病院では、大体同程度の症状の患者を200人ずつ2グループに分け、一方のグループには何もせず、もう一方のグループは、名前と症状を明らかにして東海岸の聖職者や宗教関係の人に、病気が治るように祈ってもらいました。半年後、効果はどうだったかというと、祈らなかったグル−プからは死者が出たり、病気がよくなった人は少なかったけれども、祈った方には明らかに効果があったのです。病気が好転した人の数が多くて、死者が少なく、有意の差が出たそうです。ですから、祈りというものには、効果があるのですね。
 昔から日本では、特に密教関係では、護摩を焚いて病気平癒を祈ると言います。東京の浅草の観音様とか、川崎大師様には絶えず人がお参りしています。巣鴨のお地蔵様も有名で、おじいさん、おばあさんが絶えずお参りしています。何のためにお参りしているのでしょうか。何もないのに、ただ遊びに行くわけではないと思います。やはり、祈れば祈るだけの効果があるので、行くのではないかと思います。
 そう考えますと、もっとそういうことについて研究していかなければいけないと思います。まだ、はっきりとはわかりませんけれども、可能性は否定できないと思います。そういうことで、「霊性」という言葉までもここに含めたわけです。
 2番目に、「自然治癒力を癒しの原点におく」。
 病気になったから医者へ行って治してもらうというのは、おかしいのではないかということです。人間の体は、もともと生命本来が持っている治癒力で、自然に病気が治ります。治すのではなくて、治るのです。ですから、医者に治してもらいに行くのではなく、治すのは自然であり、神様です。昔から、「病気は神様が治して医者が金を取る」ということわざがあるとおり、医者が治すわけではなく、医者は手当てをするだけです。
 例えば、手を切ると、治るまでに3日かかる傷はどうやっても3日かかるし、7日かからなければ治らない傷は7日かからないと治らない。けれども、治そうと思わなくても、傷はひとりでに治ります。体の中の病気もそうです。一定の日にちはかかります。風邪を引いた、のどが痛い。しかし、特に悪いばい菌がそこについて悪化するということがなければ、自然に治ります。ですから、手の傷も、そこにばい菌が入って、繁殖して膿んでくると、なかなか治らなくなります。したがって、傷は消毒してガーゼを当ててばい菌が入らないようにする。それが医者のできることであり、傷を早く治すことはできません。細胞分裂のスピードを変えることは、医者にはできないのです。
 したがって、何日で治るかというのは、その人の生命力の問題です。ですから、子供の病気には気をつけなければいけないというのは、治りは早いけれども、悪くなるときも早いので、油断できないということです。年寄りの病気は、それだけ衰えていますから、治りが悪いですが、進みも遅い。ですから、年寄りのがんは、あってもそう進みません。がんは若い人ほど進み方が早いですね。それは体力、生命力の問題です。
 人間の体にはそういう自然治癒力が備わっていますから、それを無視してはいけないということなのです。
 3番目に、「患者が自ら癒し、治療者は援助する」。
 病気を治す中心は患者自身であり、治療者はあくまでも援助者であるということです。治療よりも養生が、他者療法よりも自己療法が基本であり、ライフスタイルを改善して、患者自身が「自ら癒す」姿勢が治療の基本となります。自分が治そうとしないで、医者に行って治してもらおうというような他人任せ、他力本願ではだめなのです。酒を飲んでいると肝硬変になってしまうからやめなさいと言われても、それを無視して飲んでいれば肝硬変になるかもしれません。やはりそう言われたらやめるべきです。自分の体ですから、自分で気をつけなければいけないと思います。
 それには、なぜ、病気になったかということをまず考えなければいけません。同じ病気を繰り返す人がいます。自分の生活の過程において病気になっているのですから、最初の病気の原因を考え、それに気がつかなければいけません。そのままその生活を変えなければ、再発を繰り返すに決まっています。人間は、ライフスタイルのために病気が出てきているのですから、ライフスタイルを改善しない限り病気を断つことはできません。何度でも再発を繰り返すことになります。
 ですから、あくまでも患者自身が「自ら癒す」という姿勢が治療の基本です。自分の体は自分で治すということです。
 4番目は、様々な治療法を統合的に組み合わせる」。
 治療には、いろいろな治療法があります。伝統医学は各国にあるのです。病気は人類発生以来あります。ヒポクラテスどころではありません。おそらく人間発生以来、何万年も前から、病気はついて回っているはずです。そして、病気になるよりも健康でいたいのはあたりまえの話です。だから、どこにでもいろいろな医学があるわけなのです。日本、西洋だけが医学ではありません。アフリカにはアフリカの医学があるし、南米には南米の医学、隣の朝鮮半島には朝鮮半島の医学、中国には中国の医学、チベットにはチベットの医学、インドにはインドの医学があるのです。西洋医学が出てきたのは、ここ300年〜500年なのです。
 つまり、西洋医学だけが医学ではなく、西洋医学の利点を生かしながら、中国医学、インド医学、チベット医学、モンゴル医学、朝鮮医学といった各国の伝統医学、また、心理療法や自然療法、栄養療法、食事療法、運動療法、手技療法、絵をかかせる芸術療法、箱庭療法といったいろいろな療法を総合的、体系的に組み合わせて最も適切な治療を行うということなのです。そして、これが少し難し過ぎて、私どもの頭を一番悩ませているところです。何とか変えようと思っても、いい案が出てこないので、まだまだこのままになっているわけですけれども、いろいろな治療法を総合的、体系的に組み合わせて最も適切な治療を行うのが理想だと思います。
 5番目は、「病への気づきから実現へ」。
 患者になった場合、病気になった場合、病気を無駄にしないということです。病気を自己への「警告」ととらえて、人生のプロセスの中で、病気を絶えず「気づき」のチャンスとして、より高い自己成長・自己実現を目指していくように、プラスにとらえなければなりません。決して世の中マイナスのことはありません。「禍を転じて福とする」という精神を常に持っていなければならないということです。そういう心がけがないと、せっかく病気になったのに何にもならないということです。
 こういう5つの定義を我々は考えているわけです。
 話は変わりますが、水耕栽培のトマトで、1本の木に1万3,000個のトマトをならせたという実験があります。この実験は大沢さんという方が考えられて、筑波の博覧会に最初に出されましたが、その後、ずっとその実験を続けておられます。
 土を使わず、水を流して、そこに少し肥料を与え、空中に浮かせたままで育てます。生き物は、環境次第、やり方次第では、すごい生命力を持っているのです。普通、トマトは7つか8つなるのがせいぜいで、10個もとれれば上等でしょう。それが1本の木で1万3,000個も1万2,000個もとれる大木になるわけです。
 キュウリでも、1本の苗から4,000本のキュウリをとっています。バイオを使ったり、特殊な苗ではありません。その辺で売っている苗を使って、そうなるわけです。
 メロンは、1本の苗から100個とれます。普通は1本の苗に1個だそうです。実際に伊豆でやっていらっしゃる方に会いましたが、メロンもトマトもとてもおいしいですよと盛んに強調されていました。
 このトマトは、土は使っていませんから、根から水を吸い上げます。水が流れていることが刺激になるようで、そこに多少の肥料が入っているというだけです。そして、温室で完全に覆って、温度調整をしています。これで、おいしいトマトがたくさんとれるわけです。
 ですから、人間の体も、やり方次第で、丈夫にすることも病気にすることもできるということです。基本的に生命力を大事にしなければいけないということをわかっていただきたいと思います。
 以上のように、基本的には病気になるとか健康でいられるということは、本人の心がけではないかと思います。最初に、「健康の輪郭」ということでご覧にいれましたスライドの中に、「心ニ快アリ」という言葉が出てきましたが、これが非常に大事な要素ではないかと思います。ですから、健康でいたいなら、不愉快な思いはなるべくしない、不愉快な受け取り方はしない。人間はわずか100年ぐらいしか生きないのですから、そんなにくよくよ悪いことばかり考える必要はありません。千年も万年も生きるわけではありませんから、あまり思い患っても始まりません。自分が死んだ後、息子や娘たちはどうなるかわからないのですから、そんなに気を使っても仕方がない。それより、自分の都合のいいように考えたほうがいい。楽天家のほうが長生きで、悲観的に物事を考える人はどうしても病気しやすいようです。「陽気」に、「にぎやか」に、「楽しく」ということです。
 私の家のそばに教会があり、表にときどき聖書の言葉が張り出されますが、この間、「常に喜んでいなさい」「絶えず祈りなさい」「すべてのことに対して感謝しなさい」という3つが書いてあって、非常にいい言葉だと思いました。
 祈るのは、神様でも、仏様でも、何でもいいと思います。「守ってください、お願いします」とお祈りをする。いろいろな本を読むと、祈り方というのがあって、祈るときには注文をつけても、代償を払ってもいけないそうです。例えば、子供が病気で、「私の命を縮めても結構ですから助けてください」という祈り方をすると、必ず命を縮められるそうですから、そういう祈り方をしてはいけない。そういう代償を提供するような祈り方をすると、必ず祈ったとおりになるといいます。
 そして、「すべてのことに対して感謝しなさい」、感謝の心を持ちなさいということです。これは健康の秘訣ではないかと思いました。自分の体を健康に保つには、この3つを守れば間違いありません。健康だけではなく、人間の生活そのものを豊かにし、人生を楽しくさせるには、その3つが肝心なことだろうと思いました。
 まず、いつも喜んでいなさい。「心ニ快アリ」ということが最初に出てきたように、何でも自分の都合のいいように考えて喜びなさいということです。人の話を悪く解釈してはいけないということです。非常におめでたい人間だと言われるかもしれませんが、おめでたいことは結構ではないですか。おめでたいのはいいことです。何でも、不幸よりおめでたいほうがいいです。人間もおめでたくできているほうが、長生きするし、楽しく、健康でいられると思います。そして、絶えず祈りなさい。観音様へ行ったり、神社の前を通ったときに手を合わせたり、みんな自然にやっていることですけれども、これもやはり大事なことだと思います。そして、すべてのことに対して感謝しなさいということです。人間は、生かされているという感謝の心がないと、やはり健康ではいられないのではないかと思います。やはり恨み、つらみ、そねみ、ねたみは健康を害するもとであり、一番よくないと思います。
 「中国人の気功の先生ががんを治す」という評判を聞いた、ある小さな旅行会社をやっているプロモーターから、その先生に頼んで、癌と難病の患者をどこかの温泉で1週間ぐらい缶詰にし、気功の治療をして、その前と後で効果があるかどうか調べてみたいけれどもどうでしょうという相談を受けました。その気功の先生も「それはおもしろい、賛成だ、悪くなることはまずないだろうからやってみましょう」と大いに賛成し、8月に伊豆で実験をしたので、私も一週間つき合ったことがあります。
 気功療法は、気功を行う人と受け手のコミュニケーションがうまくいかなければだめで、合う、合わないということがあると聞いていたので、そこをチェックしたほうがいいということになり、希望者に1カ月前から先生のところへ来てもらい、コミュニケーションをとるようにしました。
 募集して集まった方が30人。癌のかなり末期の方も来ました。乳癌の方がわりあいに多く、骨に転移して、病院では骨折を起こすから動いてはいけないと言われていた人も、募集を見てぜひやりたいというので、病院の先生の許可を得て、付添い2人でやっと車に乗せて気功の先生のところへ通ったわけです。ところが、伊豆に来る少し前から、介護が1人つくくらいになって、伊豆に来たときには、1人はついていましたけれども、それでも自分で杖をついて、ちょうどカニが歩くように横にだったら歩けるという状態になっていました。そういう人が2人いました。あと、やっと起きているような人で、気功の治療中寝ていなければならないという人が3人ぐらいいました。
 朝6時半から夜10時まで、気功治療と自分で手を動かす気功のトレーニングを交互に行い、1日5回ぐらい治療をやったでしょうか。気功の治療といっても、何もするわけではありません。本人は時計やメガネを外して、いすにかけ、目をつぶってリラックスしているだけで、先生は瞑想しているだけです。
 それで、大体3分の1の人には非常によく効きました。毎日毎日顔色がよくなってくるのがわかるくらいです。食欲も出てきて、ご飯も食べられるようになります。やっと横に歩いていた人が、帰るころには階段をひとりで上がっていたのには驚きました。
 それから、帰ってから後の検査結果として、あまり変わっていないとか、現状維持という人が3分の1いました。 また、そこに来たためにマイナスになった人も3分の1いました。でも、効かなかったという人でも、顔色はよかったです。
 ここでは、生命力ということをお話しましたけれども、「気」というのは不思議なものです。「気」のつく言葉が日本語にはたくさんあります。わからないものには全部「気」がついています。「電気」もそうです。だれも電気を見たことがないわけですから、これが電気ですとは言えないわけです。「磁気」もそうです。砂でもあれば、砂の上に磁力線がかけるからわかるけれども、砂がなければそこに磁気があるかないかわかりません。そんなものにはみんな「気」がついています。「雰囲気」とか「気持ち」もそうで、「気持ち」というのは「気」の持ち方がいいとか悪いとかです。そういう「気」という不思議なものが、これからの問題ではないかと思います。
 宇宙エネルギーが特殊な能力の人を通して作用するのが気功の治療法なのかもしれません。とにかくそういう経験を1週間したことによって、確かに効く場合もあるということをこの目で確認してよかったなと思います。ただ、だれにでも効くものではない、効かないこともあるということもわかりました。
 わかったようなわからないような話だったかもしれませんけれども、日本の医学の「病気」についての考え方を変えないと病人は少なくなりそうもないと思います。
 では、これで終わります。




TITLE:藤波 襄二
DATE:2003/09/02
19:27
URL:http://www.pref.toyama.jp/sections/1212/ihpc/center/sh0701.htm

posted by akyoon at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 医学、医療、健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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